ジャンボセキセイインコ普及委員会

~脳たりん家族の日常~本日もいかれたメンバーがアホな1日を過ごしています

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・映画 【俺は、君のためにこそ死ににいく】

母が映画の招待券を手に入れてきた。
指定の映画館で、休日以外なら鑑賞できる券だ。
私は映画館で上映している作品を調べ、母に伝えた。
何の映画を見るかの決定権は、母が握ってるからだ。もちろん。



《母》(^▽^)
「俺は君のために死ぬけど」にするわ。



《私》(‐∀‐;)
まじ?
つーか、そんな恩着せがましいタイトルじゃないんですけどね。



ちょっと予想外だったのだ。
母の事だから、「パイレーツ・オブ・カリビアン」を選ぶと思っていたのだ。
それを伝えると、



《母》(^_^)
前のカリビアンが、すごい気持ち悪かったから、もう見ない。



《私》(‐∀‐?)
気持ち悪い?



《母》(^_^)
そう。
タコがグニャグニャしてて。



どうやら、こいつのことを嫌ってるらしい。

20070528221326.jpg


作品の内容より、登場人物で決めるところが、いかにも母らしい選択だ。
まぁ、右翼チックな私としては「俺は~」は、おさえておきたい映画だったので、晴れた月曜日に、2人で難波にでかけた。




難波にある、なんばパークスの中にシネコンがある。

20070528222256


この、なんばパークスは屋上に公園があったり、家庭菜園スペースがあるので、それをいいことに、
「公園の中のシネコン」
と自称している。
しかし、シネコンは6階~8階。公園は9階なので、決して、公園の中のシネコンではない。
「公園の下にあるシネコン」
なのだ。
日本語は正しく使ってもらいたい。



056.jpg



映画の内容は予想していたし、正直、あまり期待もしてなかった。
が、自分的には予想以上だった。
確かにCGくさいな~、とか、犬がまったく演技してねぇじゃないか、とか思ったけど、めちゃくちゃ泣けた。
「男たちの大和」より泣けた。
たぶん自分が、特攻隊の遺書とか辞世の句を読んだことがあるからだと思う。
いろんなシーンに、神風特攻隊や回天特攻隊の言葉がオーバーラップした。
映画の俳優さんが、私の知らない方も多かったので、役者に感情移入しやすかったのかもしれない。

私は子供の頃、
「特攻隊の命中率は1割程度。みんな犬死に」
と左翼教師に習った。
しかし、最近、公開された米軍の機密文書には、
「命中率は56%」
との調査結果が出ていた。

みんな、命をかけて日本を守ろうとしたのだ。
もし自分だったら、敵に撃たれながら、血を流しながら、それでも飛行機をぶつけるなんてこと、やり遂げれたのだろうか?
自問していたら、数日前、イカ弟が書いていたミクシィの文章を思い出した。





~イカ弟の文章~


広島から帰ってきた次の日。
張り切って仕事。か、どうかは分かりませんが利用者宅に契約をしに訪問。

その家族はご主人と奥様の2人家族。
ご主人70歳、元科学者らしく几帳面な感じ。
奥様は専業主婦でちょい世間知らず。
会話では常に奥様が前。
ちょっと家の不都合なことをご主人が話しをしようもんなら、すかさず奥様が静止をする感じ。
子どももいなく2人で過ごしてきた。

この度、ご主人が末期がんということと、奥様が手がしびれ動きにくいということで訪問介護が入るこことなった。
正直、ケアマネさんと奥様の会話で30分が過ぎ眠くて仕方がなかった。
一通りのことを終え世間話へ。


私  「ご主人ご出身は?」

ご主人「広島です。」

私  「あれ、昨日まで広島にいたんですよ。」

ご主人「私はあの時、学生でした。」

私  「??」(この人認知症はなかったはず)

ご主人「ちょうどあの時、学校に行く途中でした。」

奥様 「もう~その話は~」とご主人を精しようとしたその時」

ご主人「お前は黙っておけ!!」と奥様を制す。


ご主人は抗がん剤治療を重ねており体力はない状態で妻を腕で制した。常に前に出ていた奥様も静かになった。


私  「あの時とはあの時ですか」慎重に問い直した。

ご主人「ちょうど原爆が落ちたとき爆心地から2kmのところにいました。
たまたまでしょうか、私の前に大きなクスノキがあり直撃は避けれました。その時は原爆とは誰も知らず放射能とか知らなかったのです。
その後、学校に行くと教諭が来ておらず、大学から連絡が入り赤十字病院で安置しているから遺体を受け取りに来て欲しいと言われ、大八車で行きました。
赤十字病院は爆心地から1kmのところにあり、道中は市街地で炎の海でした。
血気盛んな若者だったのでしょうね~。
帰りは生きて帰れないと思いましたが火の海に飛び込んで行きました。
放射能なんか知らなかったですから・・・。
その時、目の前を歩いている人がいて遅かったので抜いていったんです。振り返った時にその人の前面は焼きただれてひどいものでした。今も目に焼きついています・・・。
10年か20年ぐらい前でしたか広島の平和公園の資料館に行きました。入り口にまったくそのような状態の人の模型がありました。
もうその場で吐きそうになりすぐに出ました。
あれ以来、私はあの資料館、平和公園には足を踏み入れることができません・・・。
そして、あの原爆の日から少し体調が悪くなったときは常にあの原爆のせいじゃないかと不安な日々をすごしてきました。」

私  「・・・。」

ご主人「あの戦争で私は多くの友人を亡くしました。もともと私は香川出身で学徒動員で広島に来ました。
その当時は戦争も激化しており多くの友人が兵隊として出兵しました。
広島には特攻隊がありましたから・・・。
授業中に上空が爆音でうるさく外を見たのです。
そしたら上空100mぐらいを零戦が飛んでいるのですよ。
よく見たら友人で白いハンカチを振っていました。私も両手いっぱい手を振りました。
そして彼は帰って来なかったのです・・・。」


彼の目には大粒の涙と言葉にならない声を出され思い返していました。



広島に行き、連れと昼間歩いた平和公園の川、夜の平和公園で語った時も言葉よりも重いものを感じ、今目の前の老人が語りかけた言葉により多くものものを得た感じがした。






のちにマッカーサーはこう言っている。

~日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった~

二度と戦争をしないためにも、安全保障は自国できちんとするべきなのだ。






リンクフリーなので貼らしていただきました。
こちらは回天特攻隊(人間が魚雷に乗り敵艦に体当たりして敵艦を沈める)のHPです。
遺書や、生き残った方のお話もあります。

回天特攻隊 KAITEN TOKKOUTAI
~日本再建の礎と散った、若者達の記録~
http://www2s.biglobe.ne.jp/~k_yasuto/album.htm
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  1. 2007/05/28(月) 22:57:40|
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  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
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コメント

俺もおとんと見たぞ! よい映画ってゆうのもおかしいけど、考えさせられたな!
  1. 2007/05/29(火) 00:34:13 |
  2. URL |
  3. バルボア #-
  4. [ 編集]

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大阪に住む脳たりん家族の日常です。

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カテゴリーにある「はじめに」を読んでいただくと
人間関係が理解おできになると思われます。
見て解らんなら、
聞いても解りません。
あきらめて下さい。

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